『嫌われる勇気』を読んでみた。
今話題になっている「アドラー心理学」ブームの火付け役となった『嫌われる勇気』。誰しもあの青い表紙を見たことがあるのではないでしょうか。
私も書店に足を運んだ際よく目にした本ですが、一生縁のない本だと思っていました。
というのも、「自己啓発本」というジャンルが嫌いだったのです。
今思えばただの意地ですが、いろいろあってこの本を手にすることになりました。
読んでみて「なるほど~!これは人気でる!」と思いました。
自己啓発本を読んだことがなかったので、一般的な自己啓発本がどんなものかわかりませんでしたが、イメージとしては
「諦めずに続ければ夢はかなう!」とか
「自分を嫌いにならないで!」とか
「どんな時も自分を信じて!」とか
(個人的に)嫌いなフレーズばかり詰め込まれている本って感じでした。
まず、自分のどこが嫌いなのか、どこを信じればいいのかわからない状態でそんなこと言われても心に響かないんですよね。
『嫌われる勇気』は心に響くどころか、心に致命傷を負うレベルでした。
私のように「自己啓発本なんて・・・」と思っている人にぜひ読んでいただきたい一冊です。対話形式で書かれているのでとっても読みやすいですよ。
アドラー心理学における「過去」の捉え方
「幼い頃に虐待を受けた」「いじめられていた」など過去にトラウマを持っている人は少なくありません。
過去にトラウマを持つ人の中には「人と接するのが怖い」とか「家から外に出られない」と現在悩んでいる方も多いはずです。苦しいし辛いことですよね。ちょっと経験があるのでわかります。
そしてその過去の「トラウマ」と「現在」をつなぎあわせるとこうなります。
「幼い頃に虐待を受けたから、人と接するのが怖い」
つまり、トラウマが「原因」となって現在になにかしらの影響を及ぼしているのです。
『嫌われる勇気』のなかではこの考え方を「原因論」と紹介されていました。フロイト的な考え方です。
AC(アダルトチルドレン)もこの考え方ではないでしょうか。
今苦しい状態は過去に原因がある、だから今までの人生を振り返って過去のどこに問題があったのか探しにいこう!そして今の苦しい状態を抜け出そう!
でも、探し出したところで「過去」は「過去」ですよね。
タイムマシーンでもあれば話は別ですが、「過去」って変えることのできないものです。
そこで「今」に目を向けたのがアドラーの考え方。
さっきの「虐待を受けたから、人と接するのが怖い」という例をアドラーの考え方でみてみると
「人と接したくないから怖いという感情を作り出している」
ということになります。このなかに「過去」や「トラウマ」などの言葉は全く出てきていませんよね。
アドラー心理学は「過去のトラウマ」が大嫌いなのです。
アドラーはトラウマの原因を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗でもない。われわれは自分の経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかないものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。
『嫌われる勇気』p.29-30
先ほどの例でみると「人と接したくない」ことが「目的」です。
幼い頃の虐待の影響を全く受けない人はいないかいもしれません。むしろほとんどの人が何かしらの影響を受けていると思います。
しかし、虐待された人が全員、人と接することが怖くなるわけではありません。
なぜなら「虐待」という経験へどのように意味を与えるかの選択は人それぞれであり、その意味付けによってどう生きるのかをまた自分で選択していくのです。
「人と接することが怖い」のは、虐待が原因ではなく自分が「人と接したくない」と選択したということになります。
この本を読んで一番「心に刺さる~!!!!痛い~!」と思ったのはこの考え方でした。
でも「間違えた選択をしたから自分の人生はもうどうしようもない」なんて思う必要は全くありません。
「間違えた選択」をしたのであれば「選び直せばいい」だけです。
「過去」は取り戻すことはできませんが「今これから」はどうにでも変えることができます。もちろん自分自身で。
変えられないことを嘆くより、変えれるかもしれないこれからに向かって努力する方が何倍も効果があると思いませんか?
ここが、アドラーの考え方のいいポイントだと思いました。受け入れるまでちょっとしんどいですけどね。
わたしの課題、あなたの課題
「あの人私のこと嫌ってるんじゃないかな」
「なんかみんな私のことみてるけど変なことしたかな」
周りの目が気になることって結構あると思います。私は異常なくらい気にしてました。(笑)なんで気になるかって言うと答えは簡単です。「自分に自信がないから」。
自分に自信がないから誰かから褒められたい、認められたい。そして安心したいんですよね。いわゆる承認欲求です。
「親に認められたいから頑張っていい大学に行った。」
「親に褒められたいからテストで満点をとった。」
親ってなんで子供の勉強に対してあんなにうるさいんでしょうね。
それはさておき、勉強って他者の期待を満たすためにやっているものではありません。誰でもない自分のためにするものです。
褒められるから頑張る。褒められないから頑張らない。
それってどう考えてもおかしな考え方だと思います。
勉強を例にあげましたが、これって何に対しても言えることで、そもそも「私」は「誰かの期待を満たすために生きているのでなない」のです、
親の期待を満たそうと生きたとしても、親も同様に「私」の期待を満たすために生きてくれるでしょうか。
そこで出てくるのがアドラー心理学の「課題の分離」という考え方です。
アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という視点から考えを進めていきます。(中略)勉強することは子どもの課題です。そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他人の課題に対して、いわば土足で文踏み込むような行為です。われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離していく必要があるのです。
『嫌われる勇気』p.140
最初に周りの目が異常なくらい気になっていた、と書きました。「なっていた」と過去形で書いたのは「今はほんの少しだけ、他人の目を気にしないようになった。」とうことです。この「課題の分離」の考え方を使って。
「あの人私のこと嫌ってるんじゃないかな」
これは「私」の課題ではありません。
「嫌っているかどうか」は相手の課題なのです。
相手の課題まで引き受けては自分がどんどん苦しくなってしまいます。
「これは自分の課題だ!」と思ってする行動は人から好まれなかったり、褒められなかったりする可能性も大きいです。しかし、相手がどう思うかは「他人の課題」。私は「私の課題」をするだけで十分なのです。思いきって「私の課題」と「相手の課題」を線引きしちゃってもOK。
確かに「誰かに嫌われること」は怖いことですが、自身をもって「嫌われてやる!」ぐらいの心構えになってもいいかもしれませんね。
そう思えるようになるにはかなりの時間がかかると思いますが・・・
これが本のタイトル「嫌われる勇気」なんでしょうね。
まとめ
正直「この本を読んですぐに何かが変わった!」という訳ではありません。
本のなかでも「アドラー心理学を習得するためには今まで生きてきた人生の半分の時間が必要。」と言っています。
しかし、すぐに変わることはできなくても多くの「きっかけ」をくれる本だと思いますし、私の場合、嫌いだった自己啓発本を少しは好きになることができました。
また、繰り返し読むことで新たな発見を見つけることができる本です。
「心がもやもやした時」のための1冊として本棚に置いてておくのもよいのではないでしょうか。